キャッチャー・イン・ザ・ライを読んで(村上春樹訳:ライ麦畑でつかまえて)
装丁
あらすじ
「大人」の段階に差し掛かっている少年ホールデンが、純粋な視点から大人と社会を風刺的に意見していく一人称視点の物語。
話が節で区切ってあるので、テンポが良い。1ページにつき5つくらいは社会への鬱屈さを述べる。とにかく風刺する。
ホールデンの批評エンジンの調子が良い時にはゆうに10を超える。
風刺画を小説に落とし込みリズミカルにしたような作品で、賛同できる点も多いので読んでいて爽快感がある。
誰しも風刺的
社会を風刺的に評価する考え方は誰しもしたことがあると思う。
例えば人でごった返した新宿を歩いている時に「本当にこいつらは全員意思をもって動いているのか??内2割はBOTなんじゃないのかな」と考えたりする。
牛丼を食べてる時なんかは画家の石田徹也による『燃料補給のような食事』の衝撃的な絵を思い浮かべて、「ここにいる人はこんな食事してて、寂しくならないのかな。」なんてことを考える。自分だって同じなのに蚊帳の外だ。
SNSに「わろた」「www」「草」「笑笑」なんて書き込んでるけど、「本当に面白いと思ってるのかな、事務的に対応してるだけじゃないのか」と穿ってしまう。
同じ穴のムジナであるのにも関わらず、自分のことを棚にあげて風刺する。
社会に染まった者vs社会に染まってない者
最後の方に
高校の恩師であるアントリーニ先生の家を訪れる。アントリーニ先生はホールデンに助言を与えるが、ホールデンは強烈な眠気に襲われる。カウチで眠りにつくが、しばらくして目が覚めると、アントリーニ先生がホールデンの頭を撫でている。驚いたホールデンはすぐに身支度して、そのまま家を飛び出し、駅で夜を明かす
というシーンがある。
アントリーニ先生とホールデンの関係性は、社会に染まった者(汚れた):社会に染まってない者(純粋)の対比であると思った。
アントリー二先生が喋る内容は、「傾向的に〜」「〜はなにも君だけじゃないんだ」「互恵的な仕組みなんだよ」といった口ぶり。
多くの人を分析した結果からくる帰属的な意見であって、真に自分の好奇や意見ではない。
ホールデンの「うっざってぇなぁ...おれはこうしたいのに!なぜそうならない!」みたいな自分を発端として社会を風刺する考え方とは真逆。
しまいにはホールデンに対して「変わった子」という評価を下し、自分の「大人」な考え方を正当化する。
アントリー二先生が肌身離さず持っていた濃度の高いハイボールは、アントリー二先生が自分を曝け出すことができるアイテムだ。
自分の好奇を社会によって抑圧され続けた結果、表現の仕方がわからなくなり、アイテムを使うことでしか発散できなくなったのだ。
意思や好奇をもっと表にだしたいのに、「大人」だからアイテムに頼らないと自分を出せないことにホールデンは気持ち悪さを覚えたんじゃないか。
社会に染まる=自分を表現できなくなる?
誰しもが欺瞞を抱え仮面を被って生活している。
「お互いを尊重し受け入れ合うためにはこうするしかないんだ、仕方がないんだ」と自分を納得させて、社会に染まり自分の内なる想いに蓋をする。
そうやって「大人」になっていく。
聾唖者のふりをしようと思ったんだ。そうすれば誰とも、意味のない愚かしい会話を交わす必要がなくなるじゃないか。誰かが僕に何か言いたいと思ったら、いちいちそれを神に書いててて渡さなくちゃならないわけだ。しばらくそんなことを続けたら、みんなけっこううんざりしちゃうだろうし、あとはもう一生誰ともしゃべらなくていいってことになっちゃうはずだ。
ー中略ー
もし子供達が生まれたら、僕らは子供たちを世間から隠しちゃうんだ。そして山ほど本を買い与えて、自分たちで読み書きを教える。そんなことを考えていると胸がすごくわくわくしてきた。ほんとにわくわくしたんだよ。
大人になると自分に蓋をすることになる
ホールデンもそう考えたからこそ、「聾唖者のふりをして、人と関わらないように森の側の小屋でひっそりと暮らす」という夢にワクワクしたんだろう。
自分の表現の邪魔をする社会を除去して、真に自分の考え方や思考を突き詰めようとする姿勢だ。
エッセーの創始者ミシェル・ド・モンテーニュもモンテーニュ城に篭ったし、デカルトだって篭ったのち放浪とするし、マークトウェインだってミシシッピで過ごした少年時代を大事にしている。
ホールデンも彼らと同様の人種なのだろう。
ホールデン流・アントリー二流の考え方
広告代理店やインフルエンサーが作り出した流行をtwitter・インスタグラムで探って、大衆の意見からアイデアを練り上げるのがアントリー二流。
カフェや図書館などで自分の好奇や考え方をノートに書きなぐり、
紆余曲折ありながらも自らのアイデアを創り出すのがホールデン流。
どちらも一長一短ある。
アントリー二流のアイデアの方が社会にすぐに受け入れやすいだろう。
データに裏打ちされているから、上司も説得しやすいし、前例があるので収益の計算もしやすい。
会社で適当な意見を求められたときはアントリー二流が楽だ。
ただ本当に面白いアイデアは作れない。
『桜井政博のゲームについて思うこと』ではドラクエが爆発的に売れていた時期に投稿されたコラムで以下のように書かれていた。
「ドラクエがウケてるからといって、ドラクエのようなRPGを作ってはいけない。ドラクエのようなゲームを作ったとしても、ユーザーはドラクエをやるからだ、ドラクエのようなゲームはやらない。オリジナリティーが大事。」
ホームランを打とうとしたら、ホールデン流が優れていると思う。
自分が大事に思うこと・面白いことを突き詰めるにはホールデン流。
片方に寄らず、二つの要素を持ち合わせることが大切だ。