川崎市立麻生小学校 運動会 歌詞
青空高く
小鳥は飛び立ち
歓声はこだまする
麻生の丘に
赤、いくぞ!
青、ファイト!
黄色、進め!
緑、やるぞ!
力を合わせ声合わせ
額(ひたい)の汗を輝かせ
勝利を目指せ
今日は楽しい運動会
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運動会の夢見たのでメモ
忘れた箇所穴埋めしたいので、ぜひぜひコメントで書いてください
補足
そうま氏によって、力を合わせ声合わせが判明、サンキュー、メンチ!
〇〇男子・〇〇女子ってやめにしないか?
「男子」「女子」。
この代名詞がすこぶる気に食わない。
成人した人に対して使わないで欲しい。
「〇〇系男子」「〇〇系女子」。
いい歳こいた人が「スイーツ男子」「港区女子」とかほざいてるのを聞くと脳味噌が蕩けてるんじゃないかと思う。
といっても、実生活の中でこの表現を使っている人はほぼいない。
主に「男子」「女子」の表現を利用するのは、
広告やマーケティングでの売り文句だろう。
「〇〇男子」「〇〇女子」という表現は、
「〇〇男」「〇〇女」という表現に比べて遥かにマイルドになる気がする。
「〇〇男」を使う場合は、
文頭に妖怪がついた「(妖怪)〇〇男」へと脳内変換が自動的に行われてしまう(私だけ?)。
例えば、「スイーツ男子」なら、
くるっとウェーブした髪型の可愛らしい少年がケーキをパクついてる姿をイメージする。
それに対して、「スイーツ男」であれば、
「(妖怪)スイーツ男」であって、
にきび面の肥った男性がケーキをやみくもに頬張る姿を彷彿とさせる。
「男子」と「男」の言葉の使い分けで、
プラスのイメージとマイナスのイメージが作用し、
文から想像させられる姿が異なる。
広告・マーケティングなどの物を売る側としては、
もちろん、商品にプラスのイメージを持たせたいので、
「〇〇男子」を選んで、〇〇に商品カテゴリに沿った適切な言葉を当てはめる。
「〇〇男子・〇〇女子」は、
売り言葉のフレームワークである。
このフレームワークは、
具体的に以下のようにして展開されるのだろう。
- サービスを展開する事業所が広告代理店に依頼。
- 広告代理店は女優を起用。○ーラのような。
- 今流行のあの女優は、「〇〇女子」としてTVや雑誌などのメディアに露出。←この時点では、「〇〇女子」は虚構。
- 同時に女優は案件料金を受け取って、個人のインスタグラムで発信。
- 女優に憧れる判断能力のない人が、マーケティングに踊らされて商品を買う。
- 「〇〇女子」が誕生!!←現実に。
- 更にメディアで活動を報道して、増殖させる。
やった!マーケティングの力によって、見事に虚構の存在が現実に誕生した。
「男子」「女子」という言葉が気に食わないのは変わらないが、
本質的には、上記の一連の流れを嫌っているのだと思う。
明らかにプッシュされている商品って良い質じゃないことが多い。
良い商品ってじわじわ広がって行くものだろうし。
ただ、じわじわ広まる(理想論笑)だと競合とのバトルで押し潰されるから、
結局は札束ばらまいて広告打つのが正義なんだろうな。
商品を売り上げるには、
マーケティングに資本を投じて存在を広めることが良いのだろうけど、
札束ビンタしてくる感じがやっぱり好きじゃない。
メディアで「〇〇男子が話題!」とかいうのを見ると、
背景に札束のチョモランマを感じてしまって、
どうにもお肌にブツブツができてしまうのだ。
コンテンツ消費人間
趣味は読書・ネットサーフィン、なにも目新しいもの生み出してないじゃん。
コンテンツを消費してばっか。
Youtubeで実況を見て、テレビでお笑い番組を見て、Netflixで映画見て、2chでネットサーフィンして、寝る前に小説を読んでいたら一日が終わって、さあ次の日だ。
365日、何の変哲もなく進む。
しかも、動画系はすべて2倍速以上で再生してるのだから、ゲテモノ視聴もいいとこ、消費って言葉がふさわしい。
家畜が檻の中で餌を与えられているのと同じようなものだよな。
システムで作られた檻の中で飼育員から提供された情報というジャンクフードを食べている豚。
生きるためにぼんやりと働いているだけで、テメーである必要はなく、いくらでも代わりがきくような作業。
何の価値も生み出していないし、ただただ生きているだけの凡夫だ。
資源を無駄に使っていることに罪悪感すら感じる。
これでずっと生きていくのカナ。
おいしいものや面白いもの、話題になったものに群がる。
たまに温泉に行ったり、旅行にいったりしてリフレッシュした気分になる。
楽しい気分になるんだけど、ガキのときほど楽しくない。
物理的なものから得られる感動がどんどん薄れていく。
得るばかりじゃなくて、作ることもしないとダメなんだろうけど、その両輪がうまく噛み合ってない。
ゾンビって感じだよなー。
「凡夫で生きるなら死んだ方がましだ」
3年くらい前に兄が言っていた言葉、ウーン、刺さるなぁ。
なんだろうな、心の底の底から物事に没頭できないんだよな。
はじめは「あー楽しい!」だったのが徐々に義務感でやってる感じが強くなってしまう、「やらなきゃなぁ」に変わってる。
成長できない自分に飽きるんだ。
ゲームをやってたときは1日中をずーっとプレイできたのに。
ゲームをやめてからはなにも熱中していない。
無気力でただ本を読んで映画みて動画みてぷらぷらしているだけ。
消費したものにさしたる思い入れはなく、すぐに次のコンテンツへ。
あーだこーだと感想を残すこともたまにはあるが多くはポイッと。
使い捨てカイロのようにばんばんコンテンツを消費していく。
コンテンツ消費人間。
これでいいのカナ。
あ、Netflixでドラマの続きでてるから見よっと。
2020本屋大賞ノミネート作『線は、僕を描く』 ADHDな感想
技術書やビジネス書にどっぷりと使っていたので、たまには小説でも読むかと思い、本屋にぶらりと立ち寄った。
ぼんやりと小説コーナーの平積みを見ている中で、本書の帯に書かれている「なにかを作り出す人に響く一途さ。一歩踏み出す勇気の書」が目に留まり、特に中身も見ずに購入した。
やっべ、なろう系か!?
主人公の大学生、青山が友人の手伝いで水墨画展の力仕事を頼まれる、仕事の休憩時間に名もしれぬ老人に声をかけられ、展示してある水墨画の感想を問われる。主人公が水墨画素人ながら思ったことを正直に述べると、老人は「水墨画家顔負けのすごい目を持っているね」「慧眼だ」と褒める。さらに老人と会話を続けていると、遠くから「お祖父ちゃん」と呼ぶ声、すると見たこともないほどの美女が現れた。美女は、青山を警戒している雰囲気だ。
理由なくわけもわからぬまま美女に詰められる主人公、そんな中で「君を内弟子にしよう」と正体不明の老人がのたまう。「そういえば名乗ってなかったね、私が篠田湖山だ」、その老人、実は水墨画界の巨匠の篠田湖山先生であった。美女は孫の千瑛で、千瑛が警戒していた理由は、主人公が不純な目的で巨匠に近く不当な輩に見えたからであった。
ここまで僅か30ページ。怒涛のストーリー展開である。
平凡な大学生、隠し持つ才能。
突然の爺、業界の超一流。
爺の孫、超絶美人。
ヤッチマッタ。王道中の王道のなろう構成やんけ。
さらに続けて読み進めると、おちゃらけた変な親友ポジとかわいくて快活な女友人まで出てくる始末。
やばい、時間の無駄かもしれない、ここでやめるべきかと思ったが、「白黒つけない大人な相槌」言葉選びのセンスや途中途中で挿入される水墨画に関する表現が素晴らしく、まるで自分が水墨画を見ていると錯覚するかのように、ありありと脳内で水墨画をイメージできて快感だったので読み進めた。
水墨画シーンの多さ
最初に出てくる水墨画の表現シーンがp21の5行目から「高い山があり雲がもやっとしたような、よくある構図の水墨画ではなくて、みずみずしい花があり...」とはじまり、水墨画の魅力を文章ながら詳細に映し出していて、水墨画を現実に見ているような気持ちになる。水墨画の炭の擦り方や描き方、作品完成までの流れが大変詳細に書かれていたので、「監修の人すごくね」と思って本書の作品詳細を調べたところ、まさかの作家の砥上裕將さん自身が水墨画家だったので驚いた。水墨画家、兼作家?それとも作家、兼水墨画家?wikipediaを見ただけだとわからなかったので、更に少し調べると本職はどうやら水墨画家の方らしい。
www.bookbang.jp
水墨画に関してゼロ知識だったので、水墨画の基本の春蘭・竹・梅・菊からなる四君子の解説が面白く、なるほど、水墨画はそういった観点が基礎としてあるんだなと感心した。
四君子はそれぞれが君子の理想の姿そのものを描いてもいるんだ。たとえば、竹なら真っすぐスタッと立っていて、折れずに柔軟というところが君子の姿、それと君子の怒りの姿だという説もある。
p.162 11行目
四君子を用いて水墨画占いみたいなものがあってもいいかもしれない。占い師(水墨画家)が占われたい人の話を聞いて、その人となりを表した水墨画を描く。例えば、孤高に生きるデザイナーみたいな人だったら春蘭を描いて渡す、みたいなハリーポッターの組み分けみたいな"組み分け水墨画占い"があったら一度行って見たいと思う。30min、4000円かなぁ。マッサージと同じ価格帯くらい?
伏線回収
本書にはちょいちょい伏線が仕込まれている。
冒頭、p.9の西濱さんの「一本、一本が勝負だよな」。
湖山先生が入院中のお見舞いで最初の内弟子にするシーンの伏線回収がある。
「最初に見たときにすぐに分かったよ。本当に孤独な哀しい瞳をした若者だと思った。まるでかつての私を見てるようだった」
... 中略 ...
「私は、君と千瑛との勝負も、君が優れた水墨画家になるかならないかなんて、そんなこともどうだっていい。君が生きる意味を見出して、この世界にある本当に素晴らしいものに気づいてくれれば、それだけでいい。私にはただ、それを伝えるすべが、水墨しかなかったんだよ。あのときの私に与えられたものを、私は君に与えようと思ったんだ」
冒頭のありきたりでつまらない展開だと思っていた内容の理由が判明する。湖山先生はかつての自分の孤独感を青山の瞳から感じ、青山を救い出そうと考えたのだ。つまり、最初の場面での「水墨画家顔負けのすごい目を持っているね」は、そのままの意味の水墨画の評価に優れた"すごい目"ではなく、孤独と絶望に打ちひしがれてどうしようもない状態の哀しい目であって、それを直接に言わずに救いの手を差し伸べた湖山先生に感動した。と同時に、短絡的になろう系と判定した自分を恥じた。
見るということ
伏線回収、うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
と本書に熱をあげているときに、ふと疑問、そういや「目」に関する記述やたら多くね?と気づく。
湖山先生が「目を細める」シーンは複数回に渡って登場する。目を細めるのは湖山先生の特徴で、弟子の描いた絵を見るときや深い会話の中で目を細める。そんな湖山先生を筆頭に、登場人物の感情表現は目で行われている気がするので、冒頭6〜32ページまでの27ページ分の目の表現に関する語句を数えてみたら、66回もの目に関する表現が使われていた。
Page | Line | Name | Content |
---|---|---|---|
7 | 16 | 青山 | 見て見ぬ振りをすることもできない気持ち |
11 | 1 | 西濱 | なんとも言えない表情で目を細めた。 |
12 | 7 | 西濱 | やりたいことさえ見つかれば |
14 | 10 | 青山 | どう答えていいかわからず、古前君をじっと見ていた。 |
15 | 7 | 西濱 | 嬉しそうに彼らを眺めて |
15 | 13 | 西濱 | 展示を見て帰る? |
15 | 14 | 青山 | 見せてもらおうかなと思いまして |
16 | 10 | 湖山 | あたりを見まわして |
16 | 16 | 青山 | とても元気そうに見える |
16 | 17 | 湖山 | おもしろいものを見つけたような目で |
17 | 19 | 青山・湖山 | 僕と老人はふいに目を合わせた。老人は嬉しそうに微笑んでいた。 |
18 | 6 | 青山 | これまで一度も目にしたことがない。 |
18 | 13 | 青山 | 部屋の隅に置いてあった箱に目が行くと |
19 | 1 | 湖山 | 老人は視線をあげてこちらを見た。僕の手元を見ていて |
19 | 9 | 青山 | 僕は自分の手を不思議な気持ちで見た |
19 | 12 | 青山 | なんとなく右手の箸を見ながら答えた |
20 | 1 | 湖山 | 会場を見にいこうか |
20 | 11 | 老人たち | お互いを見て微笑み合い |
20 | 15 | 青山 | まったくのモノトーンで描かれた絵のほうが明らかに目を惹いた。 |
21 | 1 | 青山 | 視線が吸い込まれていくのがわかった |
21 | 3 | 青山 | 水墨画なんてまともに眺めたことはなかった |
21 | 8 | 青山 | 目は描かれたものへと吸い込まれ |
21 | 11 | 青山 | 僕がとくに目を惹かれたのは |
21 | 14 | 青山 | シンプルなものなのにどうしてこんなにも目が留まるのだろう |
21 | 17 | 青山 | 水墨画なんてたぶんはじめて見ました |
21 | 19 | 湖山 | ゆっくり見ていこうよ |
22 | 5 | 湖山 | すごい目を持っているね |
22 | 16 | 湖山 | ほんの少し目を細めてうなずき |
23 | 11 | 青山 | 真っ黒なはずの花が真っ赤に見えた |
23 | 19 | 青山 | 赤い色を見ている感覚で隅の黒い色を見ています |
24 | 2 | 湖山 | 目が色に導かれていくよね |
24 | 3 | 青山 | ぼくはじっと絵を眺めた |
24 | 5 | 青山 | その赤を見ていると |
24 | 14 | 青山 | 赤しか見えない |
25 | 5 | 青山 | 猫みたいに目つきがものすごく鋭くて |
25 | 13 | 青山 | あたりに目を凝らしたが |
25 | 17 | 湖山 | 慧眼だね |
26 | 4 | 青山 | 見たこともないほどの美女 |
26 | 12 | 千瑛 | うさん臭い奴を見る目で見つめた |
26 | 15 | 青山 | いぶかしげな目で睨まれている |
27 | 3 | 湖山 | 若いのにすばらしい目を持っている |
27 | 5 | 青山 | あまり見つめていると |
27 | 6 | 青山 | まったく信じられない、という目で絵と彼女を交互に眺めると |
27 | 7 | 千瑛 | 視線はさっきよりも冷たくなった |
27 | 8 | 千瑛 | すばらしい観察眼の人 |
27 | 10 | 千瑛 | うさん臭そうに彼女は僕を見ていた。 |
27 | 11 | 千瑛 | お目汚しにならなければよかった |
27 | 13 | 千瑛 | 警戒心に拒絶感が加味された鋭い目 |
28 | 6 | 青山 | 花以外は何も見えなくなりました |
28 | 8 | 青山 | 鋭い瞳で突き殺されてしまう |
28 | 11 | 青山 | もっとも強く目を惹いた |
28 | 12 | 千瑛 | 単にこちらを眺めていた、僕の目を見て... |
28 | 18 | 千瑛 | さっきよりもずっと強い目で僕を睨んだ |
28 | 19 | 青山 | 僕は思わず彼女と目を合わせた。その視線に気圧されて僕は言葉が止まった。 |
29 | 10 | 湖山 | めんどうを見て |
30 | 2 | 青山 | 僕は思わず老人を見た |
30 | 6 | 青山・千瑛 | 僕と彼女は老人を見た |
30 | 12 | 千瑛 | 彼女の大きな瞳はほんの少しだけ丸くなった |
30 | 17 | 千瑛 | 彼女は大きく目を見開いた |
31 | 2 | 千瑛 | 彼女は老人を見た |
31 | 5 | 湖山 | これだけの目を持っている学生さんだ。目が届くところにしか... |
31 | 11 | 千瑛 | 彼女の瞳は、怒りで燃え上がった |
31 | 12 | 湖山 | 孫とのやりとりを楽しんでいるようにも見える |
31 | 15 | 青山 | いっしょに絵を眺めて話をしている |
32 | 16 | 千瑛 | 千瑛の不機嫌そうな鋭い視線がお祖父ちゃんと僕に突き刺さっていた |
32 | 18 | 千瑛 | 千瑛は既に勝ち誇った目で僕を見ていた |
特に、20ページ目に水墨画展の会場入りをしてからは、13ページの中で50回も多用されていた。1ページあたり3.85回の「目」が登場する。ほとんどの1ページが20行以内に収まるので、20行のうち4行分は「目」の表現に占められていると思えば、常軌を逸した出現頻度であることがわかる。これほどまでに登場人物の視線を詳細に描いた作品は他に類を見ないだろう。
読み直すうちに気づいたのが、作者は意図して「見」の漢字変換を行なっており、p16,8の「誰もみつからなかった」では変換を行なっていない。「見」を集中して物事の真意を見定めるときの表現として用いているのだろう。つまり、青山は序盤から、水墨画を「見」る力が備わっていたのかもしれない。そう考えると、湖山先生の「水墨画家顔負けのすごい目を持っているね」も嘘ではないのかもしれない。
友人の古前も眼を持つ?
その理屈で言えば、古前の「チア部の女子の太ももを見るためだ」のガチ度がひしひしと伝わってくる。古前にとっての見るは、大学の頂から自分の居場所を眺めることであり、また、視点を変えることの重要性を冒頭の学食のシーンで青山に説いているので、青山にとっては古前も見ることを教えた師匠の一人である。
古前がサングラスを始終かけているのは、人よりも見えすぎてしまうが故に、情報の彩度を落とそうとしたのではないだろうか。古前がサングラスを外したのは、千瑛とその作品を見つめるときで、そのときの目を「つぶらな瞳」と表現していた。実は、古前も「曇りまなき眼」の持ち主の一人なのではないか。
青山の隠れた性格
青山は千瑛のことをはじめは、彼女と表現していたが、湖山が勝負させると言った瞬間に、千瑛に変わった。これはライバルとして千瑛を瞬時に認識したからではないだろうか。口では、「無理っすよ」なんて言っているけれど、本心は勝ちたいと思っているから千瑛という呼び方に変わったのかと思う。闘争を避けそうな文学青年っぽいが青山はわりかし喧嘩っ早い性格なのかもしれない。
強い好々爺系作品
僕は好々爺系作品が好きだ。というより、バカみたいに強い好々爺が好きだ。『剣客商売』の小兵衛、『スターウォーズ』のヨーダ、『嘘喰い』の夜行 妃古壱。戦闘力の高いおじいちゃんって憧れる。
湖山先生は、ヨーダ系爺さんに感じた。強いジジイやお世話になったジジイが衰弱して入院するというのは、ありがちなシチュエーションだと思ったが、「師匠の死を乗り越える」のシーンは本作に盛り込まれていなかった。湖山先生が死んで、主人公覚醒or作品完成からの「この姿(作品)を見せたかった。。。」までの流れを予想していたけれど、空振りに終わった。
主人公、オーバーパワーちゃうか
なんとこの小説の主人公、水墨画を初めて一年ちょいで水墨画の権威ともいえる賞を受賞してしまう。いやーやりすぎちゃいまんねん。ストーリーはジャンプ漫画に近く、やりすぎ感が否めない。あらすじをざっと洗うと以下の形だ。
- 展示会へ行ったら、水墨画権威の爺Aに認められて弟子になる。
- 爺の孫娘、千瑛、めちゃ美人。
- おちゃらけ系だけど本質見抜く男友とちょっと真面目なロリかわ系女友の2人の友人を持つ。
- 爺の弟子2人、一人が技巧派、一人が感情派。様々な指導をつけてもらう。
- 学園祭で展示会を開き、学内でも人気者へ。学内でサークルも作り、合コンも行う。
- 友人2人が付き合いだす。
- 爺Aの友人の水墨画権威の爺Bにも認められる。
- 一人で特訓シーン、自室に引きこもり水墨画に没頭。
- 爺A、入院。爺A、思い出を語る。
- 一年ほどで権威的大会で受賞、俺は連綿と続く水墨画の流れの一人だ!
列挙するとやりすぎが強調されてしまうのでよくないけれど、特に誇張的表現はせずにそのまま書いた。学内でも人気者になっちゃうのは、おなじみの『進研ゼミ』漫画が代表するパターンで、やりすぎに拍車をかけている。それと、主人公の水墨画への適性は、一年ほどで受賞しちゃうことを鑑みれば、『スラムダンク』の赤木のバスケへの適性と同等レベルで、身長186cmで最初からダンクシュートできる跳躍力のような天賦の才を備えている。
王道パターン盛り盛りとはいえ、読者を退屈させない爽快なストーリー構成・展開の早さ、かつ水墨画をテーマにしているので、漫画やアニメなどの視覚的なコンテンツとの相性が抜群にいいと思ったら、コミカライズされていたので、いつか読んで見ようと思う。
まとめ
ジャンプ漫画のような爽快なストーリー構成になっているので、退屈せずに一気に読了まで突き進むとおもう。読み始めると止まらない、本屋の隣のカフェに腰を据えてから2時間後には読了していた。水墨画に関する情報が詳細に描かれているので、没入感がすごく、「あーこんな風な水墨画を千瑛は描いたんだろうなぁ」と脳内再生余裕なので心地がいい。また、水墨画を少し知ることができたと思う。これは四君子などの座学的な話のみを意味しているのではなく、「風景画家は水墨画の余白を気にする」や「水墨画家は心に宇宙をもって描く」などを知ることによって、今後に水墨画をみたときに、この画家は何を心に想って描いたのだろうという視点を気にかけることだろう。
12月に武蔵野美術大学のシデの卒展を見に行ったときにセッションが開かれていて、そこで「デザインの逆算」というキーワードについて話されていた。デザインの逆算とは、例えば、電車のつり革広告をみたときに、「広告デザイナーは何をアピールしたくてコンテンツをこのように配置したのか」「その配置・配色をすることで本当にアピールできるのか」「本当にこうしたかったのか、上からの指示に嫌々従ったのではないか」「コピーライターはどうしてこの言葉を選び、倒置にしたのか」「点と丸の位置は正しいのか、強調のためにあえてずらしたのか」「何枚広告を置いたら効果があるのか、車内だけなのか他とも併用しているのか」を考えることであり、通勤中に目にする小さな広告一つから広告に携わった人の背景を考えて、その意思を汲み取ることとしていた。すなわち、デザインとは紙ぺらの上でのインキの配色・構成の定義を超えて、関わるものすべてを示す言葉なのである。
広辞苑で「デザイン」を引いた。
デザイン【design】
①下絵。素描。図案。
②意匠計画。製品の材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。「建築―」「衣服を―する
「総合的造形計画」とあり、なるほど、定義済みのことと同じ意味を再定義していたので、少し居丈高だった態度が恥ずかしい。通常、デザイナーと言えば、イラストレーターやフォトショップを想定しがちだが、言葉を付け足して都市デザインやソフトウェアデザインといえば、情報を付け足して限定的にしているにも関わらず、含有する意味合いが広がるので面白い。
本書は、描くことで成長する主人公を軸にストーリーを進めているけれど、描くことと同等に見ることにも重点を置いている。登場人物の心情の機微を発言の内容よりも目の雰囲気を通じて表している。また、肉体的な目だけではなく、作品を視る・心の内を視るのように洞察力をもとめる精神的な眼も大事にしている。師匠の作品の模倣から卒業して、自分は何を描きたいのかを見つめ直すシーンでは、自分が描きたいことをはっきりさせるべく、葛藤の中で自分との対話を繰り返す。帯に書いてある「なにかを作り出す人に響く一途さ。一歩踏み出す勇気の書」の意味が伝わった。いま何がしたいかわからない人やこれから何をしていきたいかわからない、進路に悩む学生へオススメしたい一冊。この作品を読んでからしばらくの間は、目を細めて感情の喜憂を表現することに意識的になるに違いない。
これを見た瞬間に「おおお」と思う人は多いのでは。目で読み取る日本人と口元で読み取る欧米人。 pic.twitter.com/TNs5RXaj2V
— Munechika Nishida (@mnishi41) July 29, 2018
一生眼鏡な男が眼鏡との二人三脚を書く
小学校5年生の時にはじめてかけてからずっと眼鏡を掛け続けている。高校生・大学生になるときにデビューとばかりにコンタクトに変えていく裏切り者たちの流れを乗り越え、今現在でも順調に眼鏡一筋を突き通してきている。眼鏡道のはじめの一歩は、Zoffからだ。
11歳の時に、町田のZoffで5000円で耳にかける部分の裏面が白地に黒のドットが散りばめられた柄だったのを覚えている。小学校くらいだと眼鏡に憧れがあった。眼鏡キャラって頭良さそうでかっこいい。小学校のクラスにいた眼鏡のやつは例外なく頭が良く、現在でも優秀な奴が多く、たまにFacebookをちらっとみると将来の有望さや格好良さに羨望する反面でちょびっと心が痛かったりする。
最初はそんな憧れだった装飾品がいつのまにか常用の矯正器具になっていた。生まれつき目が悪いわけではなく、幼少期には昼に星が見えたくらいに視力がよかったので、小学校からゲームし続けた弊害だろう。そのままなだらかな勾配で目が悪くなっていき、いまでは眼鏡がないとしっかりと前が見えない。モニターから30cmも距離をとれば、勝手にモザイク処理がかかる使いどころのない能力を得た。
これまでに16本くらいは眼鏡を買ってきた。フレームの色や形には、1000円カットの髪型同様にこだわりがなく、赤・青・銀・黒・茶・緑などなど様々なものを試してきた。結局、色付きだと視界に映るフレームの彩色が騒がしく、作業の集中や目の疲れに悪影響がでそうだったために7年目にして黒に落ち着いた。以降、ずっと目の周りには黒い輪がある。
フレームの形の種類だと、全般的に角ばったものや丸みを帯びたもの、下にフレームがなかったり、インテリ眼鏡風なほっそいフレームのものなどを試してみた。角ばったデザインの眼鏡を掛けたら「アンジェラアキに似てる!」と言われ、インテリ眼鏡風なほっそいフレームを掛けたら「ゲンスルーやんけ!」と言われたりした。眼鏡を変えるだけで、シンガーソングライターから最凶の爆弾魔に早変わりだ。眼鏡は顔の印象をがらっと変えたいときにもってこいなコスプレアイテム。噂されたくない密談・密会のときは眼鏡を掛けて出かけよう、印象ががらりとかわるはずだ。
よく眼鏡を壊した。最初に壊したのは朝起きて踏み潰したとき、フレームが縦にひん曲がった。壊すといったら体育の時間、これに眼鏡人は深く共感できると思う。小中高には体育の時間があり、特に接触プレイが多いバスケが酷く、ゴール下でボールを巡って争っている時は眼鏡がぴょーんと宙を舞い、ゴール下の密集により破損。こんな事故が何度か起きてからはバスケ中は眼鏡をかけなくなった。まったく悪くない踏んだ人の「ごめん」の言葉が申し訳なかった。バスケは眼鏡をかけた状態で行うべきでないスポーツNo.1だ。体育や休み時間のバスケだけで累計3本は壊したから、スラムダンクの木暮(通称メガネくん)は、耳と眼鏡をボンドで接着していないかぎりは100本超えしてそうだ。熱血バスケ漫画の眼鏡キャラは読者の見えないところで苦労しているだろう。
視力が悪くなったからなどの具体的な理由込みでの買い替えはほぼない。体育で壊したり、寝起きで壊したり、飲み会で忘れたりなどの切羽詰まった状況が原因で買い替えを行なったので出費がかさんだ。だだ、思考をポジティブに切り替えて、「失くしたのではない、服を買い換えるペースで眼鏡を買い替えたのだ」と脳をだませばファッションリーダーの誕生だ。せめてものの供養のようなものだ、いっそ開き直ろう。「君たちももっと眼鏡に気を遣ったらどうだ。機能美ばかり求めるんじゃなくて、もっとファッショナブルな眼鏡を見つけようよ。え?失くしたから買い直したんだろうだって?あの眼鏡は僕に似合わなかったから買い替えたのさ」。物事は視点を変えるだけでなんとでも言えてしまう。
学生時代は意図しない買い替えが頻発していたので、1マンを超える眼鏡には手を出しづらかった。5000円や7000円の眼鏡なら失ったときの精神ダメージが少ないが、桁が一つ増えると威力が倍以上に増加する。良い眼鏡を買うと愛着が湧きプレミア感がでて、手放したくなくなる気持ちが上乗せされてしまうからだ。「失った値段+プレミア」が同時に消えてしまうのは辛いので、失くしたときの対処法として良い眼鏡は買わないようにしていた。
一度、1マン超えの眼鏡を購入して強制治療を施そうと試みたが、やっぱりダメ人間なもので、3ヶ月経たないうちに飲み会で紛失し、身にしみて無理な試みだとわかった。飲み会で失くす(忘れる)ものベスト3は、眼鏡・マフラー・財布だろう。GPS入りの眼鏡・マフラー・財布ってもしかして需要あるんじゃないか。「失くしたときのためにGPS入ってる眼鏡掛けてるんですよ〜」なんて冗談交じりに喋るビジネスマンは信用に値しないから、やっぱり売れなさそう。ウーン、なんとかしないとなぁ。
いま掛けている眼鏡は、WEBエンジニアとしての活動が本格化し、モニターを見つめる時間が増えるので、オプションでレンズに初のブルーライトカットを採用した。その分お値段はちょっと高め。社会人になったことだし、飲み会はなりを潜めるだろうと判断して思い切ってちょい高を買った。
ブルーライトカット率を25%・40%・60%の中から選べる、どれを選んでもお値段は一律で割合が増すにつれて目には良い効果をもたらすそうだが、割合に比例してレンズの色が黄ばんできてしまい、25%だと目立たないものの60%だとかなり黄ばんでしまう。購入時に「黄ばんだレンズかァ、ウーン」とレンズが黄色くなってしまうことへの違和感で25%を購入、そのせいかブルーライトカットの恩恵を感じない。ブルーライトカット効果の有無を実感したいなら60%を買ったほうがいい。
眼鏡の最も良い点と最も悪い点を挙げるなら、良い点は集中のオンオフを切り替えられること、悪い点はヘッドセットをつけると耳が痛いことだ。
集中のオンオフを切り替えられることは、眼鏡それ自体の利点ではなく、眼鏡の着脱による利点である。集中のオンオフを切り替えるというよりも、正しくは、眼鏡を外すと集中が切れるようになり、掛けていないと集中できなくなる。つまり、集中力がマイナスの状態を意図的に作り出せるのだ。視界をぼやつかせて、焦点を合わないすることで集中できない状態をつくりだす。物理的に情報をシャットアウトできるのは利点で、煩いものにモザイク処理を施してぼんやりするのに役立つのだ。視力が悪いのにも利点があるじゃないか。
眼鏡を掛けた状態でヘッドセットを長時間装着する、これを日々繰り返すと耳の裏がヒリヒリしだす。気にせずつけっぱにしたりするとヘッドセットが有するピンチ力次第では耳裏が赤く腫れ上がったりしてしまう。腫れがなかなか痛いもので、ひどいときは眼鏡をかけるだけでも痛くなってしまう。ゲーマーの私はこの腫れに悩まされた結果、耳が眼鏡とヘッドセットによって挟まれないように、眼鏡を耳の上方にずらして若干斜めに掛ける攻略法を編み出して、見事に乗り越えたのであった。
タイトルを「一生眼鏡な男が眼鏡との二人三脚を書く」とした。あれはかっこつけの建前で本当の理由は、朝方に眼鏡を踏んでフレームを曲げてしまったことによって、走馬灯のように眼鏡の思い出がよぎり、どうしても文章にしたくなったからである。かっこつけなので、タイトル通りに一生眼鏡かどうかは不明である。余裕があればレーシックしたい。やっぱ起きてから眼鏡掛けるまでのステップってだるいし、省けるなら省きたい。
まばたきが少ないらしく、目をカピカピにしてしまうので、コンタクトは相容れなかった。一度、2weeksのコンタクトを購入して試したことがあったが、つけて1時間ほどで目に強烈な違和感を感じて外してしまった。以降つけずに半年分のコンタクトを無駄にしてしまったので、眼鏡とおさらばするときは、レーシックもしくは次世代の技術をするときだと決めている。
さて、踏み潰してしまったので修理しに行かないといけない。踏み潰しの防止のために置く位置を決めて寝ようという試みは何度も失敗に終わっている。ごろごろしながら読書したりして、「あー限界」となったときに眼鏡を外し机の上に置くようにしているのだが、真限界なときにこの「あー限界」をスキップして寝落ちしてしまう。朝方、「机の上に眼鏡を置いている」という思い込みが災いして、ベッドから一歩を踏み出したら踏み潰してしまう。中途半端な対策はしないほうが逆によかったりする例のひとつだ。
これまでに16本の眼鏡を使用してきたが、「これこれ、この色と形じゃないとダメなんだよなぁ〜」というものは見つけられていない。12,3年かけて見つけられていないのだから、この先もずっと見つからないものなのかもしれない。それかあくまでも消耗品と捉えていて、ファッションにまったく興味がなく、当時抱いた憧れはなくなっていることもあって真剣に選んでない可能性もある。今使っている眼鏡はかれこれ無事2年目を迎えようとしているが、お気に入り度だと普通くらいだ。次の眼鏡は、装飾品として気に入るものにしようブログを書きながら決めた。
満員電車なんて大っ嫌い!!!
満員電車の中でこの記事を書いている、すべて実体験に基づいた話だ。朝の満員電車に揺られての出勤は苦痛であることこの上ない。
8時半の東急東横線は通勤特急・特急・急行はおろか各停までもが満員である。急行系は混むの理由で各停に退避したとしても、隣の客とは肩と肩がぶつかりあい、それが機嫌の悪いサラリーマンだと肩幅を120%にバルクしてぶつけてくる。自分の領土の確保に専念する車内のチンギスハンだ。
チンギスハンは隣客の入門にすぎない。真の脅威は、フケの雪ふらし系・とにかく臭い系などの不潔型だ。この連中はもうどうしようもない。「年がら年中ホワイトクリスマスを楽しんでんじゃねぇよ」「鼻よ、はやく順応しろ」と心の中で念仏の如く唱えて、脅威が過ぎ去るのを待つしかない。
臭い系で油断してはいけないのが駆け込み乗車してくる奴らだ。朝の行程が予定通りに進んでいれば、駆け込み乗車なんてことはしないはずだ。そうなると寝坊してばたばたと家を飛び出していることが予想に容易い。つまり、歯磨きをしていない可能性が非常に高い。また寝坊したということは、前日に飲み会などでがっつりやっちゃってる可能性も否めない。
奴らは乗車するすんでのところまで走って乗ってくるので、乗車後ははぁはぁと息を切らしている。我慢して息を切らしはしなくとも、漏れ出る息はある。歯磨きをしていない-前日に飲み会-息を切らしている、このモンスターの口腔から吐き出される臭いは猛烈だ。一度だけ、高校時代に被害にあったことがあるが、便を終えたあとの便器に鼻を突っ込んでいるかのような激悪臭がした。
実害はないのだが、冬の電車の場合は汗びっしょりマンも嫌だ。冬の車内は、暖房の影響で、厚着したサラリーマンが暑さにやられ、全身から蒸気を放つせいで空気がむわっと湿っている。サウナの環境に近い。その環境に汗びっしょりマンが入場すると汗が瞬時に気化して、自分の鼻の中にふわりふわりと入り込む想像をしてしまう。不快である。
降りた後の駅ホームのエスカレーターも最悪だ。エスカレーターの列に並んでいる時間ってめちゃくちゃ無駄だと思う。最初にエスカレーターに登る人のほとんどは急いでいるのでエスカレーターを歩いて登っていく。よくみる光景だ。しかし、後続の5人目くらいがスムーズな流れを止めて悠々と止まるのだ。
あのナンバー5はなんなんだ、優越感?規則の遵守?エスカレーターは歩くなの規則を遵守するのはいいけどさぁ。そういう人たちは、電車事故の副次的要因になりうる満員電車に乗り込むことをどう思っているのだろうか。エスカレータによる事故を懸念するならそこも筋通せ。歩くことによって生じる転倒が不安?じゃあ階段使わないんか。
改札口でチャージ不足でベチーン!となっているのも理解できない、残金見ぃ。そもそも冬の極寒のホームで車内が人で犇めき合う電車を待つのが嫌だ。
満員電車はストレスの温床。
おら、満員電車乗りたくねぇだ!!!
童貞のみが働く「童貞バー」は成功するのか
バーテンダー、全員が童貞。
メイド喫茶・ホストクラブ・キャバクラ、古くからある客接待バーに加えて、最近では猫カフェ・マッチョカフェ・執事喫茶・コラボカフェなど数多のテーマカフェ(バー)が続々と生まれている。
ただ、マッチョとか執事とかメイドとかの非日常(幻想)を求めるのはやめにしよう。
もっと我々の根源にあるだろう。
原点にして最大のテーマが。
スタッフ集め
さて実現に向けて考えると、まずはじめがスタッフ集めだ。
若く活きのいい童貞は何人いるのだろうか。
バーなのでお酒を飲むことを前提として、スタッフの年齢は20歳以上が絶対条件。
やはり活きの良さを求めたいので、上限は25歳までとする。
そうした場合、バー発祥の地である横浜で開催することを考慮して1994年から1998年の神奈川生まれの童貞が対象になる。
年 | 出生数 |
---|---|
1994 | 83,868 |
1995 | 80,692 |
1996 | 82,092 |
1997 | 81,699 |
1998 | 83,104 |
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/cz6/cnt/f6872/documents/shussyo1500h29.xls
神奈川県が発行する出生数からデータを取得。
すべての出生数を合計すると 411,455 である。単純に2で割って 205,727。
東京大とスウェーデン・カロリンスカ研究所のチームが18~39歳の日本人の25%に異性間の性交渉経験がないとする研究結果を4月に発表している。
18歳から39歳での検証なので、今回のケースは20歳から25歳を対象にしているため年齢の範囲が合致しないのでスルー。
性交渉、経験なしが25% 日本の18~39歳男女 :日本経済新聞
相模ゴム工業会社の調べによると20代男性の40.6%が性交渉経験がないとされている。
年齢幅が今回の条件と近いのでこちらを採用し、205,727の40.6%で導き出す。
ニッポンのセックス|初体験、経験人数etc
神奈川に所在する20歳から25歳までの童貞は83,730人であると仮定する。
開業資金・コスト算出
バーの開業にかかるお金は賃貸・保証金・改装・ドリンクの準備など諸々を合わせて平均で600万らしいのでそのまま利用。
www.fc-mado.com
横浜のバーテンダーのアルバイトの時給を1000円。店長の月給を25万。
仮に店長1人、アルバイト1人の2人体制(アルバイトは日によって変わる)で週5日の18時から24時まで常態経営する方針としたら、合計して人件費は月々37万が必要。
その他、ガス代・電気代・水道代などがある。
ターゲティング・ブランディング
メイド喫茶・キャバクラが男性向けなように。
ホストクラブが女性向けなように。
童貞バーの客層は女性向けとする。
男にとっては店員が童貞であろうがなかろうがどうでもいいからだ。
しかし、あんまりに断定しすぎるのもよくないので、この独断はここまでとする。
女性が求める童貞像は、パッと見はイケてるのに童貞なのか、見るからに童貞なのかのどちらなのかを明らかにしたい。
私は女性ではないので勝手な偏見だが、たぶん女性が求める童貞像というのは「女性慣れしてない姿がかわいい男性」である。
かわいいからこそ女性慣れしていない姿が許容されるのであって、見るから系だったら「だろうなハハw」で片されることだろう。
かわいいの要素を満たすためには外見がそれなりに整っていることが大切だ。
"それなり"はどういった条件であろうか。
10月くらいに話題になった普通の男の条件などから考える。
・年収500万円以上
・大卒
・身長170cm以上
・正社員
・長男以外
・清潔感がある
・常識やマナーがしっかりしている
結婚相手の条件。「普通の男」は実在するのか|「マイナビウーマン」
普通に清潔な服を来て、身だしなみを整えて、教養を身につければ童貞がそうでないかは問題外の素敵な男性が出来上がります。
童貞好き女子代表の私が語る!童貞が好きな理由と魅力 | comingout.tokyo
大卒
私よりも背が高い(できれば170cm以上)
見た目が普通以上
20代で年収600~700万円以上
https://goripachi.com/are-you-a-forth-of-thousand/
一番下の項目がサイト内で既に確率を出してくれているのでそれを使う。
年収の条件を抜きにすると"それなり"を満たす男の割合は7.5%である
83,730 x 0.075 = 6,280人
ぐっと減った。見込み童貞が6,280人しかいない。。。
童貞バーを開業する上での課題は、経費やマーケティングよりも人材確保であることがはっきりした。
もし人材確保がうまくいったとして、さあ開業となったとしても別の課題が残っている。
童貞を求めるとき、童貞もまたこちらを求めているのだ。
スタッフが「卒業」してしまった場合は店のコンセプトに反するため、お店も卒業してもらわなければならない。
これでは教育コストがバカにならないし、スタッフの定着率も悪い。
とつらつら考えていたときに、これまで見落としていた更なる大問題に気づく。
"卒業"したかどうかなんてどうやってわかるんだ?
はじめに雇い入れるときにも同じことが指摘できる。
スタッフが本当に童貞かの判別つかない問題
スタッフを雇い入れるときに、確実にその人が童貞であるかどうかがわからないのだ。
童貞であるには「人生において性交渉をしたことがない」ということを証明せねばならない。
つまり性交渉が存在しない事実の証明や証拠を指す必要があり、これは消極的事実の証明に該当する。
悪魔の証明だ。
童貞であることを証明するにはどうすればよいか。
卒業したときに身体的な変化があったら明らかだ。でもそんなものはない。
男の自信がついてカッコよくなる?ふざけるな。
おそらく、生まれた瞬間から現在までを観測しつづける以外に手はないのではないか。
人は誰しも童貞で産まれてくるのに
童貞であることは証明できないのって哲学的じゃない?by 友人
ヤリチンの証明なら関係を持った相手に問いただせば証明できる。
だが童貞はそうはいかない。
童貞であることを証明できないならば、店のコンセプトは崩壊する。
ダメだ、成り立たない。。。
成功以前の問題に直面したのであった。
開き直ってみる
採用面接時に応募者が口頭で「我、童貞也」と宣言すれば採用でいいんじゃないかと思い始めてきた。
しかし、まかり間違って童貞の皮を被った似非が混入してしまい、そいつがヤりたい放題した場合、店側は偽のサービスを提供してしまったこととなる。
真の者は、非人道的なニセモノに排斥され、店側もその害を被る。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」のである。グレシャムは150年前に童貞の気持ちを代弁していたのだ。
メイドカフェだってメイド資格を保有しているわけではないし、執事喫茶だって同様だろう。
提供するサービスの質にこだわるのをやめて、童貞チックなトークスクリプトを用意すれば童貞風バーなら開店できそうだ。
これなら入店審査も定着率も考えなくていいじゃないか。
おお、解決解決!......
同志よ、この難問を解決してくれ
私の足りぬオツムでは童貞バーを開くといいながら、童貞かどうかは問わぬという本末転倒な結論に至った。
夢の実現へ向けて思考を進めたが、およそ3分も経たぬうちに、50m巨人の力をもってしても突破できそうもない巨大な壁が待ち受けていた。
その壁とは童貞の判定方法である。
童貞バーの開店は、童貞の判定は可能かと同義であろう。
同志よ、フェルマーの最終定理と並ぶこの難問を解決してくれ。